Our Column

価値創造について その①

価値創造について その①

今日はZENSIN流の価値創出について書いてみたいと思います。

価値。現在、ビジネス上でも頻繁に聞く言葉かと思います。
が、まずはシンプルに個人単位における価値創造についてご説明させて頂きます。

これはとても簡単な式で書くことができます。

価値公式●暗黙知・形式知=価値
※暗黙知には(0~2)が入る。「・」は「+」or「×」が入る。形式知は(40~80)が入る。
この詳細については、価値創造について その②で説明します。

それでは今回は、上記の暗黙知と形式知についてZENSIN流の定義の説明をしたいと思います。

●暗黙知と形式知について
一般的にはこのように説明されています。

「暗黙知とは、経験的に使っている知識だが簡単に言葉で説明できない知識のことで、経験知と身体知の中に含まれている概念。
例えば微細な音の聞き分け方、覚えた顔を見分ける時に何をしているかなど。暗黙知に対するのは、言葉で説明できる形式知。
暗黙知としての身体動作は説明しにくいが、経験知では認識の過程を言葉で表すことができる。(理化学者 マイケル・ポランニー氏による定義)」

とのことです。
ちなみにマイケル・ポランニー氏( 1891年3月11日 – 1976年2月22日)はハンガリー出身の学者さんです。
学者の皆さんは、その時代時代において何らかの極限の答えにたどり着き、社会に提唱してくださいます。
これにより時代の流れと共に、概念の定義が社会側へと浸透していき、活用されていきます。
やがて社会が活用しきると、最終的には逆に定義側の時代との乖離部分が目立ってくることになります。

そこで、現代的な再解釈が必要になります。
ZENSINの定義はこうです。

●暗黙知とは、自己理解と定義しています。

マイケル氏曰く、暗黙知を身体知と経験値の交点と定義しておりますが、
現代はニューロダイバーシティ(神経の多様性)があるため、身体知が必ずしも高度に働くとは限らないです。
例えば特定のスポーツであったり特定の勉強科目であったり、誰もが何度やっても覚えづらいものってありますよね。

その場合、努力が足りないのではなく、そもそも神経特性的に向いていない可能性が高いです。
もちろんそれでも何度も行うと、確かに経験知は積まれていきます。
しかし習得効率がゆっくりだと、最終的にその対象が嫌いになってしまう確率が高まります。
つまり、身体知が機能しづらいことで、それによって上乗せされるはずの経験知が
対象行為に対して不快を確定していく作用をもたらすという現象が起きます。

もちろん外界に対して苦手なもの、嫌いなものを直感的に理解できるようになっていくという意味ではプラスです。
しかし、苦手なもの、嫌いなものがなければ、良いわけでもありませんよね。それは基本的に無難の領域を超えません。

そこでよくよく考え直してみましょう。

シンプルにいってしまえば、身体知×経験知は、どうしてもうまく作用できない場合、外界の対象に意識が向きがちですが、
自分側に改めて着目すると、身体知×経験知よりも手前に、心の知があるわけです。
であれば、より根源的である心知×身体知こそが本来あるべき暗黙知の領域といえるかもしれません。

具体的には心がワクワクして、身体的にも腹オチするものを暗黙知の最高峰とすることです。
なんだかわからないけどワクワクするし、なんとなくできちゃう気がする。
そんな根拠のない直観(≒心知×身体知)こそが、モチベーションも生み出し、結果的に柔軟な発想ももたらします。
またこの場合、発想の起点が目の前の現実を無視しているため、
独創性が内包されている場合が多く、その成功体験は、確たる自分の自信にもつながっていくことでしょう。

他にもありがたいことに、いかに柔軟に考えたり感じたりしても、
どうしても再現性がない場合もありますが、失敗したとしても直感(≒身体知×経験知)の力が育まれていきます。
つまり、現実側からの思考アプローチである論理的思考力も自動的に成長させてくれます。

心の直観を起点にすることで、これほどまでの力を創出してくれるわけです。
そう考えると、暗黙知とは自己理解そのものであり、能力的な言い方をするとすれば
自分の内なる声を正確に聞く力と定義できるのではないでしょうか。

●形式知とは、表現手段と定義しています。

マイケル氏曰く、形式知とは言葉で(他者が理解できるように)説明できるものと定義しています。
恐らくですが、言葉は感覚的なものと論理的なもののどちらも表現できることと、
当時、言葉による説明が最も伝達手段として効率が良かったことから、そういった定義にしたのだと思われます。

一方現代に目を向けますと、言語以外にも様々な伝達手段がありますし、
特定人種や特定言語縛りのコミュニティでもなくなってきていることもあり、感じ方も実に多種多様かと思います。
このことを鑑みた上で、マイケル氏の形式知の定義を再解釈するとすれば、
形式知とは、究極的には、(特定条件下において存在する)何らかの表現手段そのものを指すといった方が現代的かもしれません。

くわえて、形式的なものですから、こちらに関しては暗黙知ような不可視領域のものとは異なり、
可視できるもの(あるいは五感で捕捉できたり、特定知識を理解することで捕捉できたりする)が大前提となっていることが多いです。
そう考えると、視覚とは人間全般にとってもっともズレが少ない情報取得機といえますし情報解像度も高いので、
現代でいうところの形式知とは、可視化技術といいかえても差し支えないかもしれません。

したがって、
暗黙知=自己理解≒心の声を正確に聞く力
形式知=表現手段≒可視化技術

といえるかと思います。
以上が個人単位における暗黙知と形式知についての定義になります。

次回のその②では、この定義における暗黙知と形式知の関係性及び価値創出について解説します。

それではまた。

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