2025/04/02 wrote
「もっと抽象度を上げて考えましょう」「俯瞰して捉えましょう」など、世の中ではよく言われています。 確かにそれで視野が広がることもありますが、これらはあくまで、言葉の中での話にとどまります。
そこで抽象度というものと改めて向き合ってみましょう。抽象度において決定的な点としては、やはり言葉の訓練だけでは本当の意味では扱いきれないということです。 言い換えれば、その理解には、脳のモードそのものも変わる必要があるといえます。
脳波の帯域と「感じ方のチューニング」
たとえば、深く集中しているときの感覚と、なんとなく眺めているときの感覚は明らかに違います。 意識のフォーカスの仕方、情報の捉え方、時間の流れ方さえも変わってきます。 これは、おそらく脳波の帯域が切り替わっているためではないかと考えています。
実際、脳波の周波数帯によって、人間の感じ方や集中の質は大きく変化します。 高い周波数(β帯)では、注意が外に向かいやすく、情報処理が細かくなります。 一方、α波やθ波のような低い帯域では、内面へのアクセスや、ひらめき、深い安心感が得られます。 つまり、抽象度の上げ下げとは、思考の粒度というよりも、「感じ方の環境設定の調整」に近いのです。
言語の役割が変わった現代において
今の時代において、言語とは「いわゆる国語的な読み書き能力」ではなく、 むしろ「コミュニケーション言語」としての役割が主軸になっています。 誰かと何かを共創したり、感情や思考をリアルタイムで共有したりするために、 言語は動的なやり取りの中で機能しています。
そのような時代において、抽象度の上げ下げも、単に語彙のレベルや言葉の意味を抽象化するだけでは足りません。 もっとダイレクトに「状態そのものを切り替える」必要があるのです。
映像は状態変化を生む装置である
そうしたチューニングをサポートできるものこそ、映像だと考えています。
映像というのは、ただ視覚情報があるだけではありません。 色彩、テンポ、音、間、空気感といった、さまざまな要素が重なり合い、人の状態を変化させていきます。
これらは一見すると感性的なものではありますが、 ZENSINではそれらを単なる感覚的演出として扱うのではなく、 極めて実践的かつ再現可能な形で、広告などのビジネスの現場に実装しています。
感情に作用する要素を、アート表現にとどめることなく、 「状態を変えるための設計」として捉え、機能性と再現性を備えたかたちで社会に届けています。 これは、正直にいって簡単なことではありません。むしろ不可能に近いとも言えます。 ですが、そこにあえて挑戦しているのが、ZENSINの映像なのです。
子ども時代に覚えのある身体の共鳴
ZENSINの映像では、視聴者の脳波がどのように変わっていくか、 どのタイミングで呼吸が深くなり、意識が緩むのかを想定しながら、 ビジュアルと音の構成を行っています。
言葉だけでは届かない層に、視覚と音を通じてアクセスしていく。 それは一方的な「視聴」ではなく、「体験」に近いものになります。 もっといえば、インタラクティブな知覚装置だといってもいいかもしれません。
子どもの頃、アニメや映画を観ていて、思わず身体が動いてしまった経験はないでしょうか。 緊張して息を止めていたり、拳を握っていたり、涙が自然にこぼれていたり。 あれは、視覚情報が脳を通じて身体にまで波及していた証拠です。
つまり、抽象と具体のあいだを、情報ではなく体感によって往復していたということなのです。
「抽象度」という概念を再定義する
ZENSINの映像で私たちが目指しているのは、まさにそこです。 抽象度を自在に扱うためのトレーニングツールとしても映像を設計しています。 ただ綺麗とか、かっこいいというだけではなく、 観ているうちに知らず知らずのうちに、自分の認知や感覚のレイヤーが切り替わっていくような、 そんな映像体験を提供したいと考えています。
思考や発想に深みを持たせたいのであれば、言葉の中だけに閉じこもっていては限界があります。 だからこそ、今あらためて、映像という手段が必要なのです。