
異質の調和
2025/03/07 wrote
ZENSIN代表は、一見ミスマッチに見える要素が同居しています。外向性(基本ハイ)、IQ(推論と処理は高め。言語は並)HSP(共感性高め)、そして低学歴(暗記が苦手)という特性が共存しています。
しかし、これらの要素は大局的に見れば理想的にマッチしており、実際の現実でもその調和が確認できる組み合わせです。単体では弱点と見なされがちな部分も、実は互いに補完し合うことで相乗効果を生みだします。
IQ特性がHSPの内面の解像度を高める
物事を深く考察したがるHSPの気質は、一見すると明るい性格とは相反するように見えます。しかしそこにIQの推論や処理の力が介入することで、深い内省を迅速に整理し、論理的なアプローチでリストラクチャすることができます。
これによって繊細な内面を精緻な感受性(暗黙知)として再統合し、外向的な力(形式知。言語化や映像化等)へ昇華させることができます。
低学歴が育む独学力
伝統的な教育機関で体系的に学ばなかった分、損したものも当然あるとは思うのですが、得たものもたくさんあります。
まず第一に固定概念や常識というものへの執着が発生しづらく、あくまでこれらは暫定的な前提条件として捉えています。したがって無理なく自由な思考回路を保つことができています。他には低学歴であることは、勉強しないというわけではなく興味や熱意に基づいて深く掘り下げる勉強をしていくことを意味します。
ようは独学は単なる自己流の勉強ではなく、知識を「身体感覚」として身体内面まで繋げる、理解における最終プロセスを最初から行う行為。例えるなら、見習いの美容師さんや彫師さんが、学習意欲の赴くままに自身を実験台にして実践を積んでいくことと似ているかもしれません。
一方、伝統的な教育機関では、時間の関係から大多数に合わせたエスコートを行わざるをえないため、どうしてもひとりひとりにとっての最適化された学習法ではないため、表面的な「分かる」に留まりがちです。そこで立ち止まった場合、「分かること」が「全て」となるので、時間経過と共に得た知識がバイアス化するリスクがあります。
つまり結局のところ、どちらが良い悪いなどの話ではなく、真の理解に至るには、独学という道で、没頭状態の中で知識や原理が身体感覚へと至るまでの学びが必須になるため、両者はエントリー地点が違うだけで、どの道いつか合流し、互いの良さを補間しあうことになっているのです。
推論が育む表現力
私は、ただ暗記して終わりというものは、羅列した情報を脳に入れてほったらかしにする行為という認識であり、この行為は、結果的に脳の動きが鈍くなる感覚があります。
そこで私は考え方に比重を置いており、あらゆる情報の背後にある関係性や全体像を見出し、どのように相互作用しているのかを理解し、端的に数式化や言語化、あるいは情緒的に映像表現に落とすことに楽しさを覚えます。
各情報の本質を捉え、状況に応じて科学の知見や先人の知恵から原理を学び、必要に応じて推論で導き出す。このアプローチこそ、私の内面に根ざす深い洞察力を引き出し、効率的な情報整理を可能にしています。
この考え方は、物理学者アインシュタインの有名な言葉にも通じます。彼は「どうでもいいことは紙に書けばいい」と語りましたが、
これは単に「重要でないことを書き留めろ」という意味ではありませんよね。
「絶対にこれはこうしてほしい」というルールを、つい私たちは必死に頭やノートに刻みつけようとしますが、よくよく考えてみれば、そうしたルールはあくまで現時点での規定にすぎないですよね。アインシュタイン曰く、これこそが「最もどうでもいいこと」なのです。
本当に重要なのは、そのルールが存在する理由や、一体何がどこまで変更可能かを見極めることにあります。
拒否反応にみられる才能の可能性
時代が変わるにつれて、学ぶべき対象そのものも変化しています。数百年前であれば、ニュートン物理は直感的に理解しやすく、興味さえあれば誰もがスラスラと頭に入っていたはずです。
しかし、現代はほとんどがアインシュタイン物理や量子物理起点の時代。映像制作の業務でさえも、これらのレギュレーションで思考を深めない限り、価値のある映像を作ることはまず不可能です。
そのような中、時代の最先端にいる子供たちが、従来のニュートン物理から教えられても、感覚的に合わず、むしろ拒否反応を示す方がいるでしょう。それは苦手だからというよりも、従来よりも新しい学び方とマッチしている可能性に着目する方が妥当ではないでしょうか。
例えば体を動かすことや音楽や絵画などに内在する量子力学的要素は、現代に合った学び方の感覚的基礎を育むでしょうし、小学生がいきなり量子力学を学ぶのは難しいとしても、数式を使わない言語化された量子論の領域であれば、既に子供たちの持ってる感覚知と照らし合わせるようにしていけばすんなり理解できるといったこともあるはずです。
つまり、古い枠組みに合わせた学び方を拒否するのは、決してその分野が苦手だからではなく、より本質的で適切なアプローチを求める自然な反応である可能性があるのです。
歴史の授業が教えてくれた、逆説的な学びの原点
私自身、小学校の時から歴史の授業が大の苦手でした。年号を暗記するとテストで点数が与えられるという現実に、何とも言えない違和感がありました。
また、授業では先生は知らない単語を次々と列挙し、「それは何ですか?」と尋ねても、
単語の意味の回答しかなく、肝心のなぜそう名付けられたのか、背景にある理由については一切触れませんでした。
しかし今思えば、その授業は逆説的ながら、「自分で考えろ」という学びにおける最も重要なことを小学生の私に早々に教えてくれたのです。嫌われ役をかってであっても、自分自身で真意を探り、情報の核心まで考える姿勢こそが本当の学びだと気づかせてくれた先生に、今では心から感謝しています。
その結果、私は自分の考えをきちんと整理し、必要に応じて周囲に伝達することができる人間へと成長することができたのです。
紙とAIで拡張する、感受性の解像度
自分の内面のアイディアや感情を整理するため、紙に書き出すという行為は今も変わらず効果的です。ノートにイメージやアイディアをアナログ上で記すことで、頭の中にある各情報の関係性が視覚的に整理され、どの情報がどうリンクしているか、アナログならではの「度合い」も含めて明らかにすることができます。
また一方では、最新のAIツールが暗記領域などの苦手なレイヤーの情報整理を補ってくれるため、内面の豊かな感受性と外向的な明るさがより高い相乗効果を発揮します。
アンバランス=潜在的ポテンシャル
外向性・IQ(多少高め)・HSP(共感力高め)・低学歴という一見ミスマッチな要素ですが、実際にはお互いを補完し合い、内面の豊かさと外向的な活力が見事に融合する関係性であることをご理解頂けたのではないかと思います。
私たちは、苦手と得意を単なる対立軸と見るのではなく、テクノロジーを介在させることで、むしろそれぞれが互いに引き立て合うパートナーになりえることに気づくべきです。
したがって「苦手」とは、自分の持つ得意分野とまんま同一平面上に繋がっていて、それは進化した学び方とマッチしている可能性を示唆していると考えることができます。これこそが、2025年以降、私たち一人ひとりが持つ独自の可能性を見つけるヒントになるのではないかと思います。
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