
横文字おじさんに学ぶ認知戦略
2025/03/27 wrote
平成の頃は、街中で「アジェンダがペンディングだからキャズム超えてシナジー高めていかないと…」といった会話が飛び交っていました。当時は思わず微笑んでしまいましたが、実はこのような「横文字」の特性や作用の理解こそが、現代における認知戦略を構築する上で大切かもしれません。
私たちが日々使う横文字は、一見すると洗練されてスマートに聞こえます。しかしその本質は、“表層情報をパッケージ化するための道具”です。本でいうところの「目次」であり、商品でいうところの「包装紙」です。
本来であれば、横文字は広義の概念や抽象をざっくり包み、詳細はあとから解き明かす余地を残しておくために機能します。したがって英語圏では、そのパッケージの中身を自ら説明する責任が伴う前提で使用されます。しかし、日本においてはその「中身」よりも「響き」が先行し、言葉だけが独り歩きしてしまうことがありました。
この現象は、まさに“表層に閉じ込められてしまう罠”。横文字を多用することで、一時的な安心感と知的な雰囲気を演出できるものの、知らず知らずのうちに自分自身の思考までもが「表層止まり」になってしまうのです。
平成期に誕生した「横文字おじさん」は、その象徴と言える存在です。
会議が始まると同時に「アジェンダ確認からいこう」「ペンディング事項はある?」「この案件はマストで対応だね」と勢い良く語りはじめるものの、肝心の具体内容を問われると…
「それはまぁ、エビデンスとしてアライアンスをドライブしながら、キャズムの向こうにホライズンを見据えているところだよね…」
部下や同僚は首をかしげます。さらには本人さえも首をかしげています。しかし横文字使用による自己陶酔効果は次第に彼に大いなる力を与えていきます。
「あーそうそう。ここはまずパッションでアクセラレートしながらリソースをマネタイズする。その先はクロスファンクションでインセンティブ設計していく流れになるね。わかるかな?」
さらには、、、
「そう。これはまさにオールアグリーにしてオールクリア。ただ本質的には、KGIベースでマクロ視点からミッションドリブンなアライメントを取る必要がある。そこにパーパスを接続し、OKRとの整合性を取りつつ、ノーススター指標をベンチマークに据える。つまり、トップラインにレイヤーを持たせて、ボトムアップとのクロスファンクショナルな統合を設計するって話なんだよね。」
今、彼は完全に確信している。そう。唯一1人だけ——。
「エビデンスベースでフィージビリティを確認しながら、ステークホルダー間のナラティブを整流化する。そこにストーリーテリングが介在すれば、ブランドエクイティの最大化も視野に入る。要するに、最終的なゴールをKGIとしてリフトさせながら、エモーショナルなエンゲージメントを設計するってこと。そう、これがアンサー。」
(これってどの辺がアンサーなの?)
(え、これってむしろ119ってこと? いやまてよ…まさか110?)
一方、横文字おじさんはそのような空気感が伝わる領域にはいませんでした。極度の静寂の中、彼は周囲を見渡すと、勝ち誇った表情を浮かべていました。
「…チェックメイト」
そして満足そうに会議室を後にするのでした。
——その後、会議の参加者らも静かに立ち上がると、彼らは一同に総務部へと向かいました。
「すいません。労災の件で…」
こうして、横文字おじさんの魂の叫びが空気を切り裂くように響いたあと、平成は一つの演目を終えたかのように、そっと静まり返っていったのでした。
そして令和。この令和という時代は、この“横文字依存”からの脱却と再構築を促しています。単なる横文字の羅列ではなく、「その言葉の奥に何があるのか?」を深層から問い直す人々が増えてきているのです。
たとえば、「イノベーション」という言葉ひとつをとってみても、ただの横文字で終わらせるのではなく、“既存の常識を深掘りし、再定義を行い、新たな可能性を生むための具体的プロセス”として考える人が増えています。
また「エビデンス」という言葉だけを振りかざすのではなく、“データにおける背景や前提から正確に把握し、どのように活かすか”を丁寧に検討する姿勢が浸透し始めています。
さらには「シナジー」も、単に意外なチームを組んでみたではなく、“共鳴現象を設計し、人や組織が本質的に結びつく方法論”として捉えようという動きが見られます。
こうした言葉と意味を深く理解し、活用する人々こそが令和のヒーローです。クリエイターや経営者、スポーツ選手など、多様な分野のリーダーたちが「言葉を通じて構造を示し、自らの思想を社会に広げる力」を身につけているからこそ、新しい価値観が次々と生まれているのではないでしょうか。
横文字は、使い方次第で麻酔にも刃にもなります。しかしそれ以上に大切なのは、「ただの響きで終わらせず」、自分の中でしっかりと咀嚼し、自分の言葉で表現しているかどうか——この点に尽きるでしょう。
ZENSINとしても、表層的な言葉遊びではなく、本質を抉り出し、価値を見つけ、世界を少しでも良い方向へと変えていくための“深層と表層を繋ぐ表現者”でありたいと考えています。
皆さんもぜひ、日常で飛び交う横文字を一度ほどいてみてください。その奥にあるものを感じ取り、自分自身の言葉で紡ぎ直したとき、新しい世界が立ち上がります。
また一方、表層に翻弄されながらも、一周回って「チェックメイト」と自身の深層を的確に言い当ててしまった横文字おじさんの奇跡も、見逃せません。本人は会議の勝者と認識していたけれど、実は自分が見落としていた何かに、自らの言葉で光を当ててしまったのかもしれません。
主観の極限は、時に客観の極限と一致することがあります。当時の横文字おじさんの暴走は、ある意味では、良し悪しといった領域を超越した、一つの真理に触れていたのかもしれませんね。
だからこそ、私たち令和の世代は、そんな横文字おじさんの“まばゆいほどの完結型思考”からも、しっかりと学びを受け取りながら、「それでもやっぱり、本質的な方向でいこうね」と、しなやかに笑って進んでいけたらいいかもしれませんね。
正解とは前提や要件定義に依存するし、どんな言語もどこかで破綻します。
だからこそ、全方位的な視点を忘れずに、私たち自身の手で、それぞれの令和を盛り上げていきましょう。
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