
カタカナ語と深層文化の断絶について
2025/04/03 wrote
日本語という器に、外来文化が流れ込んできたとき、私たちは一つの「認知戦略」を選びました。それが、「カタカナ語」という方法です。英語などの外来語をそのまま直輸入するのではなく、あえてカタカナに変換することで、日本語のなかに“異物”として一時保管しておくような形です。
これは、欧米文化の深層までが日本人の内側にズカズカと入り込まないよう、ある意味“表層だけを摘み取って使う”ための装置でした。感覚的に言えば、「中身を深くまで取り込まず、表面の便利な部分だけをパッと借りて使うためのツール」です。だからこそ、会話のテンポや印象のニュアンスだけを整えたいときなど、「深く考える必要がない」場面で非常に使いやすいという特徴があります。要するに、「気軽さ」と「一時的な便宜性」こそがカタカナ語の強みだったのです。
ところがこの前提を忘れてしまうと、話がややこしくなってきます。平成のシンボルである“横文字おじさん”のように、意味をよく知らないまま横文字を並べ立て、なんだかそれっぽく聞こえる雰囲気だけを身にまとうような現象が起きてしまいます。
実際には、深い理解がともなっていないにも関わらず、“それっぽさ”だけが増幅されてしまう。その結果、言葉の意味そのものもズレていくことがあります。
参考例について
プライド(Pride)
辞書を引くと「誇り」「自尊心」と出てきます。
でも、日本語で“プライドが高い人”と言うと、「人の話を聞かない」「やたらと自分を大きく見せたがる」ような、どこか“卑屈の裏返し”のようなニュアンスで使われることがあります。
しかし本来の“Pride”とは、自分の未熟さも認めながら、それでもなお理想を目指し続ける“求道的な姿勢”を指す言葉です。だから、“プライドが高い”というのは、本来は、どんな意見にも耳を傾けながら、それを自分の糧にして前に進もうとする強さのことなのです。むしろ、真の誇りがある人ほど、柔軟で、対話的で、冷静に状況を整理していく力を持っています。
モチベーション(Motivation)
モチベーションもまた、“やる気”と訳されることが多い言葉です。
ただし、日本語で使われる「モチベーションが上がらない」という表現は、気分が乗らないとか、テンションが低いといった意味合いで使われてしまいがちです。けれど、Motivationの本来の意味は、「自分がなぜそれをやるのか」が明確になったときに自然と湧いてくる内発的な駆動力です。
だからモチベーションは、「外から上げてもらうもの」ではなく、「自分の内側に問い直すことで再起動されるもの」なのです。
リスペクト(Respect)
「リスペクトしてます」という言い回しもよく聞かれますが、多くの場合は「憧れています」「ファンです」に近い意味で使われています。
しかし“Respect”の語源は、“re=再び”+“spect=見る”というラテン語で、「もう一度見る」「立ち止まって見直す」という意味が含まれています。つまりリスペクトとは、相手の行動や思想に繰り返し目を向け続け、その本質を理解しようとする態度そのもののこと。一方的に称賛するのではなく、繰り返し対話しながら、その価値を見定め続ける“観察の姿勢”こそが、本来のリスペクトなのです。
カタカナ語についてのまとめ
このように見ていくと、カタカナ語は、本来の意味を「雑に扱っていい言葉」ではないということが見えてきます。
むしろ、「元の意味に立ち返ってみる」という態度がなければ、言葉そのものがズレた使われ方をされてしまい、本来得られるはずだった理解や協力すら遠ざけてしまうのです。
もちろん、最先端の領域や専門的な場面では、英語由来の用語を精密に使っていく必要もあります。技術、医療、哲学、芸術、どれもそうです。そうした場面では、“理解するための足場”として、あえて難しい言葉を使って思考することにも意味があります。しかし、そのような例外を除けば、むやみに横文字が並ぶような会話や文章は、「深層まで理解していない」ことのサインだと思った方がいいかもしれません。
だから、カタカナ語は「日本語における拡張認識機能」として活かすのがちょうどいいと思います。外来の概念を、そのまま内側に取り込まず、少し距離を置いて“借り物”として扱う。そうすることで、意味の深度を柔軟に調整できるし、日本語本来の感覚に沿った理解もしやすくなります。
普段の会話においては、表層的な意味だけをサッと取り出して使う「便利なツール」として活用する。そして、必要に応じて奥の意味を見直したり、背景文化まで立ち返る視点を持っておく。この切り替えの柔軟さこそが、カタカナ語における認知戦略であり、コミュニケーションにおいてもっともよい状態ではないかと思います。
つまり、横文字を使うこと自体が悪いわけではない。ただ、その言葉が持つ“本来の役割”を見失わないようにすること。それだけで、言葉の精度も、対話の質も、ぐっと高まります。
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