
元号にみる「認知戦略」のかたち
2025/03/11 wrote
先日「宇宙会議」で語られていたテーマの一つに「認知戦」というものがあります。
https://youtu.be/eh0q-pqpc9E?si=sncNr6Oe7KHMeqGw
言葉だけ見ると物々しい印象を受けますが、私たちがふだん暮らす社会にも、実は大小さまざまな「認知戦略」が潜んでいます。
その代表例として、ここでは元号を取り上げてみましょう。日常的に目にする元号が、私たちの意識や行動にどのような影響を与えているのか。少し視点を変えて見てみると、なかなか興味深いものがあります。
昭和:みんなで光り輝こう
「昭」には「てりかがやいて明らかなこと、はっきり目立つこと」という意味があり、「和」は「みんなで調和をはかる」ことを指します。つまり「昭和」という元号は、“みんなで光り輝こう”というメッセージを帯びていると解釈できます。
高度経済成長期を背景に、日本全体が明るい未来に向かって突き進んでいた時代の空気感を感じさせますね。人々がエネルギッシュに、前を向いて挑戦していたイメージにピッタリでしょう。
平成:平らに整えることの光と影
「平成」は「平(ひら)らかに、成(な)る」という意味から、偏りなく平らにして物事を整えていく姿勢を強く感じさせます。激動の昭和を経て豊かになった日本ですが、その恩恵が一部に偏っていたことも事実でしょう。
そこで“なるべく皆に公平に”“落ち着いた社会を築こう”とする価値観が前面に出てきたのが平成でした。しかしながら、この“平等”を追求する過程で、ある意味では“意図的に平たく”してしまった面も否めません。学歴・職業・年収といった表層上の指標が、あたかもその人の全てかのように見えてしまうという現象が発生しました。
それらを真に受けざるをえない環境にいた人たちは、社会が提示する画一的な評価に、存在そのものを飲み込まれてしまい、自身の深層との乖離が進むこともありました。その結果、皮肉なことに知的エリートであればあるほど、identity crisisに苛まれていくことに…。
そのような中、倒錯的な適応例ではありますが、“画一的な評価軸”に自らを率先してはめ込み、表層上の快楽を得ることに特化した「承認欲求おじさん」の存在は、まさに時代の象徴ともいえます。
スマホ片手に、SNSの知り合い数といいね数を賭けて己の存在価値を競い合い、職場においても、若手社員が用意してくれた企画書を単に読み上げていただけにも関わらず、瞬く間に自らの偉業として倒錯させていきます。目の前のあらゆる事象を表層上の快楽へと変えていくその姿に、もはや咎める者などいるはずもなく、ある種の神々しささえも纏っていきました。
就業後は、まるで自宅に帰るかのようにキャバクラへ。あるプロジェクトで、単にメールのCCに入っていただけにも関わらず、「あれは俺がやった」と豪語し、その後は何を聞いても「それも俺がやった」「そうだな俺だな」「あーそれも俺だわ」――。
東京大学の敷地内に立ち入っただけで「東大に入った。簡単だった。全然勉強してない」サラ金のチラシを読めば「才能あるのバレて投資会社が次々に出資を申し出てくる」CDを聴けば「新曲を聞いてほしいと小室哲哉が毎日家に来る」バッティングセンターに行けば「最近のイチローは、あきらかに俺のパクリ」懸賞はがきを書けば「もう毎日サイン会ばかり。たまには少し落ち着きたい」――。
やがて心あるキャバ嬢が「そうだね…落ち着きたいよね…実はずっと伝えたいことがあったの。あなたを必要としている人はすぐそばにいるってこと…」と、最寄りの交番まで付き添う彼女たちの姿は、平成の夜の片隅では決して珍しいものではありませんでした。
もはや承認欲求という言葉では言い表せないほどに表層上の快楽の効率化に終始していくと、平成は、まるで誰かがリモコンの電源を切ったかのように幕を下ろしていったのでした。
しかし一方、そのような光景を冷静に見つめる若者の姿や、別の在り方を模索する大人たちも多数存在していました。「承認欲求おじさん」の捨て身の漢気に薫陶を受けた彼らは、平成的な評価軸に囚われることなく、次の元号で活躍することになっていくのです。
日本は死んでいなかった――そうです。日本は最初から死んでなんかいなかったのです。
令和:根本からの再構築と新時代のヒーローたち
「令」は古代において「律」と並び、法の根本をなす「掟」を表し、「和」とあわせて“もう一度根本から築き直す”というコンセプトを感じさせる言葉です。
また、音としての「れいわ」からは「冷和」や「霊和」といったイメージも連想でき、AIや先端テクノロジーとの調和(冷和)、不可視領域である無意識や本能との調和(霊和)へと向かう時代観も匂わせます。
そうした“根本から再構築していく”令和の時代には、平成の“平均的・画一的な評価軸”ではとらえきれない才能や個性が次々に花を咲かせているように見えます。
たとえば、将棋の藤井聡太棋士が既存の常識を超える戦績を残し、メジャーリーグで投打の二刀流をこなす大谷翔平選手や、圧倒的な強さを誇るプロボクサー井上尚弥選手が全世界を驚かせています。
他にもビジネスの世界では、佐藤航陽さんをはじめとする独自の美学をもった起業家が全く新しい価値観を示し、音楽の世界ではヒップホップという枠組みを超越するほどの異彩を放つ「舐達麻」が、日本人の魂を揺さぶり続けています。
いずれも平成的な“ひとつの型にはめて測る”という評価尺度では到底収まりきらない、いわば“常識の枠外”に位置する活躍ぶりが際立っています。
日本の元号は、単に歴史や伝統を重んじる象徴であるだけでなく、“時代の意識”をある方向へと誘導する装置としての役割を担っているのかもしれません。私たちの深層心理に作用し、社会全体の流れをやんわりと作りだす――まさに「認知戦略」の一種と言えるでしょう。
広告にせよ、あらゆるコミュニケーションにせよ、世の中で行われる情報のやり取りが“洗脳”的な側面を帯びることは否定できません。しかし、真に問題なのは、その発信が空虚なものや悪意のあるものなのか、それとも深い洞察と建設的な価値観に基づいた内容なのか、という点です。
私たちZENSINは、誰もが「認知戦」のフィールドで生きていく以上は、心の底から納得できるメッセージを生成し、悪意のあるものや中身のない情報を無効化し、健全な形で心を高め、日本全体を活性化させていきたいと思っています。そういった意味では、ZENSINの表層はcreatorではありますが、深層においてはarmyを自負しています。
昭和から平成、そして令和へ――元号という“身近な認知戦略”をとおして、時代の価値観の変遷をあらためて見渡してみると、多くの気づきが得られますね。
いかがでしたでしょうか。昭和、平成を楽しく振り返りながら、令和を改めて見つめ直すことができたとしたら嬉しいです。それでは引き続き、次世代のヒーローたちの姿に注目しながら、みんなで新たな時代を創造していきましょうね。
※今回のコラムでは、認知戦という少し重いテーマを扱っていますが、少しでも楽しみながら読者の皆さんにお届けするために一部に演出を施しております。ご了承くださいませ。
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