
「間違い」をアプデすると消失する?
2025/03/06 wrote
以前、「間違い」というテーマでコラムを書いたことがあります。
https://zensinllc.co.jp/column/言葉を空間上で捉える①
その中では、自分が世界と対峙した際に上手くいかなかった時、日本人は実に精神が発達しているため「自分が間違った」と捉えがち。
しかし実はそうではなく、単に環境や場が違っていただけかもしれないということを述べました。例えるならば、サッカー場で野球をしようとしていたようなものだという話でした。
あれから時間が経ち、2025年を迎えた今、世界は「表層の変化」から「深層も含めた変化」へと移りつつあります。そこで今回は、間違いについての概念をアップデートしてみたいと思います。
そもそも前回の考察は、「理性」という一元的なルールに基づいて社会が動いていたことを前提としていました。つまり、論理的整合性こそが正しさを決める唯一の尺度だったため、「間違い」は単純に理性に合致しないこととして捉えられていたのです。
しかし現在は、考え方の整合性を理性の領域だけで取るのではなく、本能や無意識を含めたより広い領域で取るべきだという認識が広がっています。これは一見すると基準が曖昧で複雑に感じられるかもしれませんが、実際には社会にこれまでにないほどの柔軟性と豊かさをもたらしています。
もともと人間には本能という根幹があり、その上に理性が位置しています。理性とは本能や無意識の海にある浮き草のようなもので、
単体では表層的なルールの運営役であり、正誤判定機でしかありません。
したがってこれまでは理性の領域をアップデートする程度の変化だったため、社会の変化が小さく、よく言えば安定的に感じられました。しかし今、本能や無意識の領域まで含めたアップデートが始まったため、社会に劇的な変化を感じるのは当然のことです。
佐藤航陽さんが指摘しましたが、理性中心の時代に、「社会を変える」と語っていた起業家の多くは、実際には承認欲求によるセルフブランディングのための活動に終始していました。
承認欲求とは自分の評価を外界に委託する行為ですから、既存の平均的な評価基準の中に耽溺し続けることを意味します。つまり仮に多少なりとも社会を変える気があったとしても、前提の認識がそもそもそれですから、これでは社会が変わるわけがないですよね。
したがって突出した個性や才能というものは、承認欲求程度の動機では本領発揮されるはずもなく、つきつめれば実際の成功は単なる運にすぎなかったということになります。
そのため、宝くじに当たった人が、普段の意識や行動が宝くじに当たった原因だと言い張るような、根拠のない成功論がまかり通っていたのです。
例えるならせっかくお金まで払って学びにきたのにも関わらず、なぜか居酒屋に連れていかれて延々と自慢話を聞かされるといった不可解な現象が日本各地で多発していたのです。もはや不可解を通り越して、心霊現象にでも遭遇したのではないか?と考えた方もおられたかと思います。
しかしこうした状況を超えて、新しい流れの中では、理性の深層部分に広がる無意識領域や本能的な感覚が評価され始めました。それに伴い、無意識や本能の領域に基づいたデザイン、本能と理性を繋ぐデザインなど、多様な領域で新たな可能性が試されつつあります。
例えば脳波や自律神経の状態によって感受性が変化するように、理性では計り知れない感覚的な価値が注目され始めています。
一見混沌としているように見える今の社会ではありますが、実は個々の才能が自由に飛躍し、それぞれの突出した個性が、志に共鳴する仲間やAIの持つ強力な論理機能と共に、存分に発揮される世界へと変貌を遂げていこうとしています。
こうして本能や無意識という根幹が尊重される時代が訪れたことで、素晴らしく刺激的な時代へと私たちは踏み出しているのです。
そしてこれらのことに気づいている人たちは、本能から理性まで含めた合理のことも、「論理的に成立してるね」といった表現をします。「自然なことだよね」という言葉と同義です。これが現代的な意味での論理です。
一方レガシーが使う論理とは、理性領域に限り成り立つ狭いor細かい論理です。それ自体は特に問題はないのですが、なぜか時折それらを人間像全体にもあてはまるのではないかと暴走してしまうことがあります。
勿論、後者における論理は、エンジニアリング分野などにおいては今後も使用されていくものですので、そういった意味では混同しないように、「論理」ではなく「ロジック」と呼んで建設的な棲み分けをしておくといいかもしれませんね。
どうも会話が噛み合わない、どうも違和感があるといった現象は、視点や立場、前提条件や要件定義といった表層の違いによるものもありますが、大抵の場合、深層に対する認識にそもそもの違いがあるからなのです。このあたりについては若者は外界と関わる時に、相手を知る際の要点として意識しておくといいかもしれませんね。
いかがでしたでしょうか。本能から理性まで地続きにフィールドが拡張された今、あまりにも広大すぎて、もはや絶対的な間違いなど何処にも存在しないのです。
そこにあるのは認識の違いだけです。
それでは今日も盛り上がっていきましょう!
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