2025/05/01 wrote
なぜ水は燃えないのか?当たり前に思えることの中にこそ、思考の自由を奪う習慣の罠がある。学びとは、忘れ、疑い、もう一度つなぐ旅なのかもしれない。
でも、よく考えてみてほしい。
水は H2O。
- H(=水素)は爆発的に燃える。
- O(=酸素)も、燃焼を助ける。
つまり、「燃えるもの×燃えるもの」でできているのに、なぜか水は燃えない。この事実のほうが、実はものすごく“奇跡的”だったりする。
■ 他にもある「思い込みの牢獄」
日常にも、こうした「気づかないまま盲信信じていること」はたくさんある。
たとえば:
- 「鏡って左右が逆に映るのに、上下は逆にならないのなんで?」
- 「宇宙は真空なのに、なんで光が届くの?」
物理を学べば答えはわかる。でも問題は、それを“疑問とも思わなくなっていること”そのもの。思考は、習慣に埋もれて止まっていく。
■ 習慣は、敵であり、味方でもある
習慣は気づきを止める。けれど、習慣があるからこそ、人と人は共通の前提を持てる。
「赤信号で止まる」「いただきますと手を合わせる」
そんな当たり前が、文化を育て、社会をつないでいる。
だから習慣は、思考のブレーキでもあり、共感のインフラでもある。
■ 学びは「忘れること」で根づく
本当の学びは、「思い出しているうちはまだ半熟」。たとえば、運転免許をとったばかりの頃のことを思い出してほしい。
どれも頭で処理していたあの時期が、実は一番危うい。でも、気づいたら感覚で判断しているようになる。忘れたようで、実は根づいている。それが学びの本当の定着。
■ わからなさから始まる学び
本当に意味のある学びって、「わかりたい」という感情からしか始まらない。心が動くからこそ、知識が必要になる。
逆に、「覚えなきゃ」「やらなきゃ」で入ってくる知識は、自分の感性と結びつかないまま、ただ積もっていく。そしてそのまま思考は鈍っていく。皮肉なことに、このやり方だと学ぶほど反知性的になる。
だからZENSINは、好奇心、違和感、ひっかかりから始まる学びを大事にしている。
■ 知的好奇心を、生活の主役にしてみる
こんな時代だからこそ、ちょっと意識してみてほしい。知的好奇心を、いったん生活の真ん中に置いてみる。なんか気になること。なんかモヤモヤすること。なんか意味がありそうなこと。それを調べてみる。書いてみる。表現してみる。人に話してみる。ある程度まできたら、はじめて本や勉強を手にとる。この順序を守るだけで、思考のしなやかさはずっと保てる。
逆に言えば、この順番を間違えると、知識だけ増えて、思考は止まる。
■ 思考と感性が“融合”したとき、学びは呼吸し始める
勉強は、思考の敵にもなる。でも、感性がガイドになっていれば、思考と知識は仲良くなれる。本当の知性とは、「習慣を疑い、手放し、再びつなぐ力」。
ZENSINが目指しているのは、そんな知のあり方。記憶して終わる知ではなく、忘れてもなお、にじみ出る知。感性と知識がちゃんと同居していて、その人の言葉やふるまいに、そっと滲み出てしまうような知性。それが、これからの世界の土台になっていく。そして、そういう学びこそが、生きているという感覚とつながっている。