
直観・直感・感情・思考──情報へのレスポンス構造を見抜く視点
2025/04/20 wrote
私たちは、日々あらゆる情報に触れています。広告、映像、会話、風景──しかし、その情報に対して「どう反応するか」は、人によって驚くほど異なります。その反応の差は、個人の性格や経験だけでなく、どの“帯域”で情報を受け止め、応答しているかによっても説明できます。このコラムでは、反応の帯域を4つのレイヤーに分けてみます。
■ 第一帯域:「直観」──まだ名づけられていない領域
直観とは、まったく意味づけできない状態での、即時的な反応です。たとえば、抽象画を見せられたとき。それが何を表しているかも分からないのに、なぜか「怖い」「引き込まれる」と感じてしまうことがあるでしょう。
これは、意味や文脈を介さず、“身体ごと”反応している状態。直観とは、「わけもわからないけど、なぜか引っかかる」「脳の前に身体が動いた」──そんなレベルでの反応なのです。
■ 第二帯域:「直感」──経験の記憶と照合する
直感は、直観のあとにやってきます。何かを見たとき、「あ、これってあれと似てるかも」と思った経験はないでしょうか。それは過去の記憶や体験をもとに、情報を照合・意味づけしようとするプロセスです。
直感とは、「初めて見た気がしない」や「なんとなくわかる」という感覚の正体。つまり、直観が“未解釈の素材”なら、直感は“過去との連結点”なのです。
■「ちょっかん」という言葉の曖昧さについて
日常会話では「ちょっかんで分かった」などと使われることがありますが、実際にはその「ちょっかん」が直観なのか直感なのかが曖昧なことが多いのです。
どちらも鋭い洞察のように語られますが、本質的にはまったく異なる種類の反応であり、それぞれの違いを意識することで、何かを感じ取ったときの深度や精度は大きく変わってくるはずです。直観は意味づけ以前の身体的な反応、直感はそこから意味を立ち上げていく認知的な作業。
この違いを区別しておくことは、創造・判断・表現、あらゆる領域において認識の質を上げる基盤になります。
■ 第三帯域:「感情」──意味を持たせる過程で揺れる
意味がついてくると、次に現れるのが「感情」です。この段階では、情報をどう受け止めるかが内的な価値観や心理状態によって左右されます。迷ったり、不安になったり、逆に安心したり、温かくなったりするのもこの層。
感情は、行動へと向かうか、留まるかを左右する動機づけの源でもあります。ここで引っかかると、反応は「即決」ではなく「葛藤」を含むようになります。
■ 第四帯域:「思考」──論理的に構造化する
最後にくるのが「思考」です。感情を含めた多層的な情報を言語化・体系化・戦略化しようとするプロセスです。ここまで来ると、情報は「素材」ではなく「材料」になります。
何かを作るためのパーツとして整理され、場合によってはアウトプットへと結びついていきます。
■ 反応の深度は選べる
このように、人間はひとつの情報に対しても、直観 → 直感 → 感情 → 思考という4つの層で反応することができるのです。どの層で止まるか。どこまで下りて受け取るか。あるいはどこまで昇華して応答するか。それによって、見ている世界のレイヤーがまったく変わってくるのです。
■ 映像や広告における「帯域設計」の重要性
私たちがZENSINで扱う映像や広告も、単に「理解される」だけではなく、どの帯域に届かせるのかを精密に設計しています。ときに身体が先に反応するような「直観的デザイン」。ときに考える前に“共に涙する”ような感情喚起。あるいは、静かに思考が立ち上がる余白。帯域の深さに応じて、映像の意味は変わります。
そしてその“深さ”こそが、体験として残る広告になるかどうかの分かれ目になるのです。
■ 結びに──どの層で受け取り、どの層で応答しているか?
自分自身が、情報にどう反応しているのか。また、自分の作るコンテンツが、どの帯域に届いているのか。それを意識するだけで、見える景色が変わってくるでしょう。
今回ご紹介した4つの帯域は、いわばレスポンスの地層のようなものです。どの層に触れるかで、人は動き、記憶し、変わります。そしてその反応の違いは、きっと「ちょっかん」という一言で済ませるには惜しい、繊細で奥深いプロセスなのです。
■ 補足:言語化できる帯域、そして日本語の奥行きについて
思考という帯域に到達すると、多くの場合言語による整理・構造化が可能になります。言語とは、思考の形を定着させるための、いわば外部化の技術です。しかし、その言語の力も言語によって異なります。
たとえば日本語は、論理言語と詩的言語が共存している非常に稀な構造を持っています。そのため、単なる論理的な整理だけでなく、感情や直感すら“言葉”として手繰り寄せることができる言語でもあるのです。
経験が自分の内側に蓄積されていくと、日本語は、思考の領域を超えて、感情や直感の帯域にまで“言葉が届く”ようになることがあります。
これは、言語の深化です。経験と言語が響き合うことで、直感や感情をも、他者に伝える“可視化された内面”に変えることができるのです。だからこそ、情報がどの帯域に届けられているか、そしてその帯域においてどのような言語を選ぶか──
それを丁寧に設計していくことが、広告や映像、コミュニケーションにおける、本質的なデザインなのかもしれません。
Contact Us
真に価値ある映像を
一緒につくりましょう!
私たちは“価値ある映像”を追求し続けています。
綺麗な映像、テンポが良い映像、分かりやすい映像。
これらは技術をあてはめるだけでも作ることができます。
一方、私たちが信じる“価値ある映像”とは、
感性と論理が高度に調和したものだと考えます。
これらの調和を目指して、価値を描出するのがZENSINです。
しかしこれは 、ZENSINだけでは絶対に生み出すことはできません。
クライアント含め、関わってくださるメンバー全員が信頼しあい
協力し合うことで 、はじめて達成することができます。
価値ある映像で世の中を満たしたい!
そんな世界をみんなで作り上げていきましょう!